長いな。とてもながく感じた。読み終えるだけで。なんでだろう。
蓋を開けてみれば味わったことがない感じを受けた本。小説。誰かがずっとしゃべっている。それをずっと傍目で聞いている風。
本は、小説などは読んでいる感じが強かった印象でここまできていたが、この【まんじ】を読んで違う印象が詠み終えるまで最後まで続いた。ずっとしゃべってる。それを耳にしている。不思議だった。そういう表現なのか。書き方で印象がそんなにも変わる物なんだな。面白いけどまぁ…長い。しかも読み終えたら、読み終えたでわたしとしては噛み砕けてないし、解消すら無。二回読めば、三回読めば叶うのかな。骨が折れる小説だな。好きではあるけど。けっこう疲れる。
主人公だと思われる園子はカウンセラー、セラピーの先生みたいな人に打ち明け始める。終始聞くのは当然に先生。園子じたいもこれから話す内容は長いし、大変だから筆が立つなら書いて見せた方が良いとも語っている。その前提を最初に持ってきているのも途中で話を折らないで済むので良策だし、まえおきとして大事な要素だったんだろうな。園子本人も表現したミステリーのような話の中身はたぶん、注釈がついていなかったり、描写を表す箇所がなく”しゃべり”口調で最後まで走り続けることでかき消されている様に捉えられた。しかも大部分は関西弁?京都弁か?慣れない口語を読んで受け止めていくから尚のこと難しく映った。口が疲れるというか、目が追えなくなってきて、目で拾った文章を頭が要約できない部分が多々ある。目が疲れた。
要の光子さんと園子が同性愛のような褒め合う、魅せあう部屋でのワンシーンは肝となっていたのかもしれない。そのまま時間が流れ、綿貫が登場し、頭には残っていなかった”お梅”がチラホラ。もちろんのこと、旦那さんは園子と平行してそばにいたり、いなかったりして話が進むのだが我に返ればどのシーンも園子が先生に”しゃべっている”だけなのだから仕方ないのかな。
いままでに味わったことのないような癖のある小説だった。
谷崎潤一郎の書く言葉、文章は好きで、そういう好きと思う文章は探して見つかる様なものでもないと思う。たまたま読むと、これ好きだなと感じる。外国作家の小説を読むのは翻訳されたものだから翻訳者の方向性を受け止めることになる。それは案外と自分には未だ合わないんだなと最近感じた。そのうえでこの【卍】を読み、少し前に【文章読本】を読み谷崎潤一郎の言葉と文章は好意的に映った。
谷崎潤一郎の『卍』は、1928年から1930年にかけて雑誌『改造』で連載された長編小説です。1931年に単行本として刊行され、その後文庫本としても出版されています。
##作品の特徴
『卍』は、谷崎の代表作の一つとして知られており、以下のような特徴があります:
-同性愛と不倫を主題とした、当時としてはスキャンダラスな内容
-美しい日本語と大阪弁を織り交ぜた文体
-複数の男女の関係が交錯する「卍」模様のような物語構造
-マゾヒズムや心理的な依存関係の描写##あらすじ
物語は、主に以下の登場人物を中心に展開します:
-柿内園子:裕福な家庭の既婚女性
-徳光光子:美しく魅力的な女性
-綿貫栄次郎:光子の恋人
-柿内孝太郎:園子の夫園子は光子と出会い、同性愛的な関係に陥ります。しかし、光子には男性の恋人・綿貫がいることが判明し、複雑な関係が始まります。
物語は、登場人物たちの欲望と嫉妬、そして相互依存的な関係性を通じて、愛と欲望の深淵を探求していきます。最終的に、この複雑な関係は悲劇的な結末を迎えることになります。
##文学的評価
『卍』は、谷崎の耽美主義的な文学スタイルを代表する作品として高く評価されています。官能的な描写と心理的な洞察を組み合わせた本作は、谷崎を恋愛小説の巨匠として不動のものにした傑作とされています。
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