原作:貫井徳郎の愚行録を映画で観たのがきっかけだ。BOOKOFFの棚で一冊、同著の小説を見つけた。タイトルは【悪の芽】。内容は想像できないが、映画愚行録に比例するようなイメージを持った。他にも買おうと左手に抱えていた古本二冊を元の棚に戻し【悪の芽】をレジに持って行きすんなりと購入した。
時間が空いた時に読もうと車の後部座席にビニール袋へ入れたままになっていた。それを一昨日ぐらいに起きたあまり気分が良くない出来事から逃れるように手に取り読み始めた。
【悪の芽】を開き読み始めようとするとプロローグが最初に用意されていた。内容はリアルを感じる文章が続きあっという間に著者の世界観に引き込まれた気がした。好みの展開だった。好きなジャンルであったが為に読む行為を追い越して考察が少し早まっているのにも気づいた。
プロローグに登場した彼が主人公だと勝手に認識したことは自分がせっかちであることを再確認させた。次の第一章からメインキャラクターがしっかりと登場する。
物語はある事件を皮切りにそれを取り巻く人々がらせん状に関係していくようにも見えた。いつどこで誰が交錯するか油断ができない展開が続き、必死で次々登場するキャラクターの名前を把握した。キャラクター各々の行動範囲も含め。
インターネット社会がもたらす影響を登場人物の個性がより際立たせている。
「そんなのよくある話じゃん」
で通過してしまう人もいるのが今の世の中だとも思う。ただ、思うことはこのような内容が昔は遠く感じていたが、今では、年々加速していっている事だと意識できる。他人事のようであって、そうではない。
気づかない内に自分も当事者になっていることがわからない時もあるだろう。
登場するキャラクター達が事件の首謀者と対比されるのは、行き過ぎない様に、行き過ぎようとした時点で止める人、歯止めをかける相手が側にいたことではないか。そのように感じる箇所が要所要所で対話を通して感じた。
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余談は、多く使用されていた言葉が気になった。著者の狙いだろうか……
「口許」「目許」「手許」と『許』を使った表現が印象的だった。
加えて、『門扉』という表現だ。
上記は他の言葉、表現よりも登場回数が多く記憶に残った。