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オペラとモーツァルトの一面を見る。|映画【プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード】

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オペラには馴染みがないので…ドンジョバンニも映画を観ながら途中に要約みたいな動画をyoutubeで予習しながら本編、映画【プラハモーツァルト】を観た、ながら観。遠く遠く客観的に見た、見てしまったとしたならば登場する「モーツァルト」と『サロカ男爵』の違いは優しく映るか綺麗に事を済ますかだけであって結末、目的は女性を垂らすとういう行為としてあまり変わらないのではないかとも受け止められる。アクションの起こし方と受け手がどう思うかであって行為に違いはないと思う。失礼かもしれないが。

この映画、作品はオペラのドンジョバンニの流れとモーツァルトプラハでソプラノ歌手を巻き込みドンジョバンニという作品を作り上げていきプラハでお披露目するまでの物語だが、オペラのドンジョバンニのいきさつと映画に登場する悪役サロカ男爵を重ね合わせ進行していく、ある意味ではシンクロさせた魅せ方。

だからか…よりモーツァルトが綺麗に表現されモーツァルトが悲劇のヒロインのように見える。

モーツァルト自身、妻がいて子もいる設定。プラハでの仕事の間は妻子は温泉旅行に出掛けているのでモーツァルトの色男活動には干渉できない。

妻子の居ぬ間にモーツァルトはサロカ男爵とソプラノ歌手を取り合うような、正義はモーツァルトかもしれないがヒールが好きな人はサロカ男爵よりに肩をもつかもしれない。サロカ男爵は不器用で短気さが売りの様なキャラ設定の為に取り返しのつかない失敗を起こしモーツァルトが正しかったというような悲劇?で幕を閉じる。

 

こういった時代背景の衣装や装飾品、部屋のインテリアは日常で目にすることがないような雰囲気の物ばかりで綺麗にしか見えない。出会うことがなく、今後も触れることがないようなそれらは芝居そっちのけで見とれてしまう瞬間もある。

 

終わりに見えた美しい脚本は、ソプラノ歌手がモーツァルトが作成途中の【ドンジョバンニ】に対しアドリブで提案したパートがある。最終的にはその案を採用し組み込み本番で披露した。そこは手前みそだが感動を誘ったのではないだろうか。