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苦いは旨くて甘くて酸っぱいか。

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今週のお題「ほろ苦い思い出」

 

苦いと感じた物はほろ苦いとは強さが違う。

小学生の時の朝食はトースト。

8枚切りを2枚オーブントースターの網の上に横並びにして、機器のタイマー部分のツマミを数字を目盛りを確か8の指す所まで右へ時計回りに回して、少しだけ反時計回りに3程戻す。そうすると薄切りの、8枚切りのトーストは焼けたというよりは焦げた状態に焼き上がり黒い焼けた食パンと仕上がる。それが好みでおかわりを2回するのだから計6枚食べたことになる。だとすれば最初から4枚切りや6枚切りを同じように焼けばよいのだが食べた時の8枚切りの薄い食感で感じる旨さと黒い苦味が大好きだった。

苦いはほろ苦いとは違う。

生まれて初めてビールを飲んだ時に感じた味わいも「苦い」だ。子供の頃から大人が気持ちよさそうに飲むビールを流し込む姿を見てその美味しそうな瞬間に憧れた。

年が進み当たり前の成人という環境で生活をしていたふとした瞬間にその『ほろ苦い』はやってきた。疲れて帰宅した一人暮らしをするアパートへ戻り、靴を脱いだ流れでそのまま冷蔵庫を勢いよく開けビールの缶を取り出しプルを強めに引き押し込みそして奥へ倒す。急いで口もとに缶の口を持って行き天井を見上げるようにビールを口ではなく、喉元へ突き刺すように注ぐ。ここで生まれて初めて『ほろ苦い』を痛感した。そして率直に旨いと体で感じた。

苦いも旨いが、ほろ苦いは巧みな旨さがある。

苦いは単体であるが、ボリューム感の強さを思う。

ほろ苦いは複数系で捉える事ができ、三人称のような点を思う。

病みつきに成るのは『ほろ苦い』だ。後を惹かせる。強すぎず、弱すぎずに適度な良さを五感に植えつけた。またそれを欲する。欲せられるようにしむけらた。…ている。

 

秋刀魚のワタなどは別であり。

ギネスビールのスタウト(生)はそれであり、ギネス缶は別である。

エシャロットを味噌で噛んだ時とは別で。

ラディッキオ、イタリア原産野菜(チコリー)を生で噛んだ時は水水しさから『ほろ苦い』か。

フランス産の修道院リキュール、シャリュトリューズの黄色は甘味が押されるが、緑のヴェールは苦味の良さが前に出されている。130種という恐ろしい程の材料を調合したににも関わらず上品なクオリティを織りなす銘品。

 

舌は慣れるものか、『ほろ苦い』に鎌をかけ日々繰り返してしまうといつの間にか麻痺してしまい感動が薄れていく。

間を開けてターゲットを絞り込み狙い打ちすることで絶妙の『ほろ苦い』を保つことが可能だ。

 

思い出を『ほろ苦い』演出で仕上げるのも自分次第かもしれない。