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読むタイミング。【ハンチバック:市川沙央】

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 ※のようなマーク、記号からはじまる最後のあとがきのような場面。

その後を語る物語。読んだ人にはそれがどれであるか理解できて、解釈は委ねられたのではないだろうか。私はこう思った。

 田中さんの妹である人の今であり、井沢さんの存在が前後どちらかが現実であり、空想である。しかし、読み進めまとめようとすると双方どちらでもないような気もしてきた。ただ、その念のようななにかを成就させたい強みを感じた。

 ゴグ…が小休止のよう間に挟まれて終わりへ向かう。

それはそれでいて、ついて来れてはいない読者に用意してくれた優しさにも映る。

読む人を選ぶかのような様。

 

 私にはポジティブ過ぎる観点も往々にしてある。そのタイミングで来たかと勝手に良き解釈をしてしまうことが多々ある。今回も読了した【ハンチバック】の中には遠からず、近からず今の時分でしか関連性がないようなことが少なからず物語の中にはあった。読むのが、手に取るのが1カ月早ければ感じなかったことであろう。去年、目にしていた場合もそうだ。

「不思議なものだ…」

と自分都合、良い風に解釈する。

 

 話題にあがった時期、【ハンチバック】を読む前からあらすじというよりも注目されている文章、書かれている芯の内容がネット上では見え隠れしてしまっていた。今思えばそのことが独り歩きしていて、物語の本質と状況は少しも入ってきていなかったことが良かったのかもしれない。

 

 著者の本は、文章は【ハンチバック】を通して初めて読んだ。同世代という勝手なくくりを持つ対象の書くそれには変になじむなにかがある。目に、脳に。

書かれている言葉群はどう表現して良いのか適切な物がみつからない。

 

 重いとは別だろうし。

 

 深いともまた違う。

 

 著者のプロフィールや賞を受賞した後のコメントを【ハンチバック】を読むよりも少し前に目通ししてしまっていたのが誤りだったのか。その場に立ち会う時のタイミングというものは自分では計れないだろうに。