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憧れた物がそんな綺麗ごとで済まない現実を自分に見せてあげたかった。|映画【ノマドランド(Nomadland)】

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2021年公開のクレジットが表示されているから、多分2020年頃に雑誌やメディア等で多く取り上げられるようになり、知った「ノマド」。それが書かれた記事や、寸評を読み素直に憧れた。『いいなぁ』と思った。感じた。羨んだ。

ナゼか?

放浪しているが生活が成り立っているように映ったからだ。

仕事を放浪先で見つけ、一部を稼ぎ、手持ちの車、バンで衣食住。

淡い期待を持ちつつこの映画を観ることをとても楽しみにしていた。

視聴された方は理解できるだろうが、この作品はそんな軽んじている私のようなタイプに釘を刺すかのような物語。

「誰もなりたくてノマドになってない。」

『戻れない理由さえある。』

 

綺麗に映るノマドは成功者という方角に位置する人だけかもしれない。資産を持ち、放浪先で本気で生活する為に働くのではなく、経験として勤め、その場所のコミュニケーションとしてだけ雇われる場所を一時的に求める。

 

それとはまったく異なった映画【ノマドランド】

人間には”運”というもの以外の表現ははたして境遇意外にも存在するのだろか。あまりジャンルとして知識はないが、「なりたくてなったわけではない。」という運や、境遇は案外とそこから逸脱するのには自分の力だけではどうにもならない場合も多い。しかし、そのシチュエーションにおいて人の、他人の助けを得るのを忌み嫌うタイプもいるのは事実。私自身もどちらかといえばそうかもしれない。…でなければもう少し早く、もっと早く自分をかわいがってあげられる行動や思考をひとつでも多く取り入れることが出来たはず。

 

主人公は旦那さんを病気で亡くしてしまい、経済崩壊も追加要因として旦那さんと暮らした思い出の土地、家を強制的に出なければいけなかった。そんなことに突然、正面から本当に向け合える人は果たして何人いるのか。耐えられないと言えるほうが楽だし、何かしらのサポートが日本ではあるだろう。日本では。

 

主人公の相棒、車(バン)は亡くなった旦那さんの形見になってしまった。相当年季の入ったバンだ。途中壊れても直すのに部品の古さを考慮すると修理費用は高額になり、修理屋さんに買い替えたほうが安く済むとも促されるが拒否するしかない。形見だし。

ノマドだからバンで生活をする。

起床して車内で食事をとる。ノマドだから。

食事にあたり、腹を下しようをたす場所も車内だ。ノマドだから。

身体を伸ばしシャワーを浴びるほど車内は広くない。頭を洗うのも流しだ。ノマドだから。

就寝中に来訪者が来てバンを叩き呼びかけられる。ノマドだから。

風が強く吹けば車内は家以上に揺れる。ノマドだから。

 

物語の途中にノマドだから良く映るシーンもあるが、骨休みでしかない。

最後には明確な答えを持っているノマド仲間が核心に迫る言葉を並べた。

その通りだと思ったし、そのまんまだ。それ以上の物は多分ない。

資産があれば別の話であり、それはノマドとはまた別枠の何かではないだろうか。

 

葛藤が映し出された映画【ノマドランド】引き返せないのか、引き返す力がもう残されてはいないのか。もし自分だったらどうするかは正直、今は考えることができない。当事者であるような要素が1つもないから。