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アドラー心理学「介入」という学び。【嫌われる勇気】

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 アドラー心理学の本。過去に読んだ一冊から次に手を取ったのは【嫌われる勇気】話題になっていた時期も遥か昔、介護職員初任者研修の講師もネタにあげたりしていたことで読んでみた。

 

 いまさら感はいなめない。

 

 先に手を出していた【高校生のためのアドラ-心理学入門: なぜ自分らしく生きられないのか】が読みやすく、脳に響きやすかったのか、アドラーの内容が自分にあっていたということが理由と成り【嫌われる勇気】をも読む事にした。

 

 個人的な感想と端的な2冊の違いといえば、その名の通りとはおかしな言い回しになってしまうかもしれないが高校生のためにわかりやすく、噛み砕いて書かれている前者と後者は成人向けに言葉や例えがより社会的に表現されている後者というべきか。

 

 【嫌われる勇気】は対話型で書かれている。そこが読み手によって賛否あるだろう。読みやすさを感じる人もいれば、対話型の為にまだるっこしく思う読み手も少なからずいるはずだ。私は対話型の為に感情の起伏までもが描かれているように捉えられ少し難しさを覚えた。

 

 【嫌われる勇気】を読んで得たこと。「介入」だ。

登場する場面としては中盤くらいだったと思うが「介入」する、しないということをテーマにした対話がある。「介入」はこの書籍で得た大きなひとつだった。

 

 思い返せば私は他人から始まり、知人、同僚に対して「介入」し過ぎる癖がある。相談をされているわけではないのに「介入」していく。結果、良い時もあるが勿論悪い場合も存在する。そこに今まで気づけずにいたが、【嫌われる勇気】を読み、少しづつ「介入」ということについて改めることが出来はじめている。よく考えてみれば「介入」し過ぎることなんて相手から求められてもいないのにするべき行為ではないことに何故はじめから気がつくことが出来なかったのか。そこに問題もあるだろうが、今更感は強い。【嫌われる勇気】を手に取ったことで「介入」という行為を改善出来たということだけで私にとって価値ある時間と成った。

 

 過去の出来事。

「介入」し壊れてしまった何かは既に取り戻すことはできない。

一方通行、止まることも進むことも可能だが曲がり、後退することは不可だ。