前に進むための場所

過去の掘り起こしを未来に繋げる

年輪は人格の使い分けをも器用にする

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 群馬で事件があった。犯人は未だ捕まっていない。

テレビのニュースではお約束のようにその施設に対してのイメージを地域住民に取材したようなコメントが流されている。私からすればそのコメントは本当に取材しているのか疑問が残る。中のことは中の人にしかわからない。外の人に中のことは理解できるはずがない。利用者の気持ちを利用者ではない人が理解できるはずがない。職員の心情を職員ではない人が察することはできない筈だ。24時間稼働している施設は何が起きるか、どんなイレギュラーが突然に発生するか不明確だ。

 

 自宅では表現しないキャラクターが見え隠れしてくるのも施設という特殊な環境だと思う。利用者が自分のご家族と一緒に居る時は見せない顔。高齢者同士が集うから生まれる特別なキャラクター。

 

 私が経験している中では男性同士の利用者の会話の多くは働いていた時の武勇伝でマウントを取り合う対話をよく目にする。これはこれで喧嘩には発展しないので善しと思う。あくまでもコレは良かった、アレは素晴らしかったとお互いに自慢で終わるだけだからだ。

 

 女性利用者の場合は少し違う。

合わない同士が近距離で時間を過ごすことになってしまうと強者と弱者が発生する。

口が立つ利用者は優しく聞いてくれる利用者をつかまえると気をつかうことなく永遠と相手の上に立とうとし聞いてくれている人にストレスを与える。ある利用者はあまりに口が立つ利用者に毎日、毎日マウントを取られ、あらゆる詮索をされ体重が3Kgも落ちてしまったと言っていた。高齢者になれば体重を増やすことが難しくもなり、減っていってしまうことのほうが致し方ないなかストレスで体重を減らされてしまうのは心情的にも相当なものだ。こういった場合は職員が気を使い噛み合わない利用者は近づけない配慮が非常に必要だ。

 

 また別のシチュエーションでは、送迎者はご自宅が近い利用者が相乗りをして成立するルートになってもいる。その仕方がないルートは時にマイナスを生む。長く生きていれば顔見知りも必然的に多くいる。顔見知りだからこそオブラートに包むことなく、本人は悪気がないようにターゲットをみつけ言葉を刺しにいく利用者もいる。その言葉の多くが受け手には強く深く刺さり涙を流すほどの時さえある。やはりそういったことが1度でもあれば、その二人はなるべく近づけないように配慮をするが攻撃されたほうの心の痛みは重く、強い。週に1回は顔をみせていた、攻撃された側の利用者はそのことが大きな理由かは不明だし断定はできないが現在通所していない。

 

 皆、自宅では、家族には決してみせない顔を持っている。

いつ何時、思いもよらぬ事が起きるのが高齢者施設だと私は感じている。

経営上改善の余地がないのかもしれないが、少人数態勢が生むリスクは毎日、毎時間、毎分、毎秒…ひそんでいる。