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言葉では何とでも言えるが、残さなければいけない作品もある|映画【今日子と修一の場合】

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東日本大震災がメインの作品です※

 企画・製作・監督・脚本:奥田英二、スーパーバイザー:安藤和津、主演:安藤サクラ柄本佑、スチール他:安土桃子と家族で製作した様に映る作品。勿論その他諸々関わる人間の数は数えきれないが残せる立場にいるからこそ作ろうと踏み切ったのか。

 

 主役の2人。今日子、修一の境遇と故郷を離れる理由に関連性はない。立場が違う2人の時間軸を同じにして進行していく。それぞれの苦悩と葛藤がある。そんな2人の心境とは別に震災が起きる。

 

 理由は様々あれど2人は被災しなかった。

 故郷に居られなかったから。

 それが果たして幸せだったのか、どう受け止めるのか。

 私は被災を逃れている側の為わからない。

 世の中にはあらゆるシチュエーションが存在する。

 体験しておらずモニターで見ただけの物は体験したとは言えない。

 見ただけだ。

 

震災当日の私は青山一丁目の某所に居た。

一定時間が過ぎ会社から帰宅要請の連絡が入った。

徒歩で帰宅可能なスタッフは自己判断で帰宅して良い流れだった。

公共交通機関は全て停止していた為だ。

青山一丁目から新宿駅まで徒歩で向かうことになった。

横浜方面へ向かう上司のT氏と2人で歩く。

 

新宿三丁目付近、新宿御苑を左手に添え2人で歩いた。

新宿界隈の企業も帰宅要請があったようで人が散乱していた。

新宿通りから一本裏手の通り、飲食店やカフェは営業していた。

会社員達は交通機関が利用できない為に飲食店にあふれかえっていた。

ビールのジョッキやワインのボトルが横目にみえた。

酔い、騒ぎ、張り上げる声が道路まで届いた。

それを横目で確認しながらT氏と歩き続ける。

あえてT氏も私もその事は話題にはしない。

 

新宿駅に辿り着きT氏とはそこで別れた。

そこから私は1人で歩き山手通りへ向かった。

 

映画【今日子と修一の場合】作品は2013年でクレジットされている。