愛し方が違った。
セバスチャンは軽率にも誘いに乗りキャサリンの魅力においそれと。
キャサリンは飽きていた。夫にも、レスター家にも。
不自由はなく、不自由はなかったから。
不能だと夫への思う所もあった。
アナは従順であるが故ならざるをえなかった報われない立場でしかない。
シェイクスピア原作の【マクベス】を少し、脇目で予習しながら映画【レディ・マクベス】を観ていた。前半にセバスチャンとキャサリンが意気投合しベッドに到達してしまうが…一度「またか…」と思い観るのを停止してしまった。最近はベッドシーンが邪魔になる。触り程度で良いと感じる部分でもある。深く描写する必要性はあまりないと個人的には捉えてしまうがそうもいかないのだろう。
間を開けて再度視聴する。
主人公キャサリンは私の見立てでは一人五役で【マクベス】を熟したような形ではないか。シェイクスピアのマクベスは魔女が三人くらい登場し、妻がいて妻はマクベスが目標を達成させる為のアドバイザーとして立ち振る舞う。そして、マクベスはそんな四人の助言に耳をかたむけながら自分の意思を奮い立たせ行動していく物語のはず。
映画【レディ・マクベス】の中で考え、悩み、行動に移していくのは主人公のキャサリンだけだ。相談相手はいない。セバスチャンを取り込んだつもりだったが心持は違ったようだ。キャサリンの増長していく行動力と残忍さにセバスチャンは腰がひけてしまう。結果的にアナに助けを求める様な素振りになってしまうがアナは完全に最初から最後までとばっちりを受け続けただけだ。
余談でしかないが、スコットランド、イギリスの空や雲を映画で観ると不思議と一度だけ行ったことがある新潟県越後湯沢駅周辺の景観を直ぐに思い出す。どよんとした曇り空の日に越後湯沢で下車をしレンタカーを借りて周辺を目的もなくグルグルと走っていた時に見ていた空と雲にとても似ている。だから何だということはない。