子供の頃に気に入っていた絵本で覚えているのは「くまのこうーふ」、「こーるたーるくん」かな。タイトルが正確にあっているかすら不明だけど。この2冊は気に入っていたと思う。文字で今表現することは不可能なぐらいに薄い不確かな記憶であるけれど絵は頭の中に未だ残っているから。茶色いうーふとグレーに近い紺色のこーるたーる。答え合わせをしてしまったら人間の記憶のあいまいさが露呈されて違いが明確になってしまうだろうからあえてしないが。運良くもECサイトを検索してみたが結果には簡単に表示されなかった。
未だ保育園に通う前は昼食が終わると専業主婦であった母が決まった場所の掃除や、洗濯物の取り込み自分の昼寝の予定があった。その傍らで私は昼寝をしむけられる。小さな子が直ぐに寝るわけはなく絵本を共にされる。お昼寝が当たり前かのように日々のその時間に組み込まれていたが後先なんて理解できるわけがない私は絵本をめくり寝るだけだった。
絵本作家の裏側は想像していたよりも激しくて、時代もあったのかもしれないがなんとも言い難い。映画とはまた違ったドキュメンタリー作品で作者の人生をみせてくれている。メインのコメンテータにトットちゃんの黒柳徹子さんが登場する。若い時の映像ではあるがそれにもまして肌艶が綺麗だ。字幕にはちひろ美術館の館長と表示されていた。欲を言えば作者とトットちゃんの2人並んだ対談なんてものはユニークだっただろう。
作品を観て行けば当たり前に気づく絵。その特徴ある印象に残る作品の数々は小学校時代だと思うが多分自分のクラス、教室にある本棚。先生の教壇とは逆にある、後ろと呼ばれた側の入り口側の扉の入って直ぐに左手に設置されていた本棚の中にあった筈だ。そこで見たと思う。さだかではない。意識的に残っているのは絵の印象が、描かれている子供の表情の目が強すぎて受け止められずに手に取らなかったような感情が無意識に残っている。子供ながらに格好をつけて触れなかった要因も少なからずあるだろうが。
映画【いわさき ちひろ 27歳の旅立ち】の中では自画像が数枚登場する。最初の22歳で書いた自画像はものすごく暗くて濃くて深い胸中が表にかぶさってくるような絵だった。一番大変な時期だったのか。その後に表示された2枚目の自画像は27歳の時の物だ。決意が現れ過ぎているぐらいの顔が書かれている。絵と文章で成り立とうと決意した時期とのことだ。ものすごい鮮明な描かれ方で、細い筋と少ないタッチで表現されているように見えた。22歳の時の物とは正反対に捉えられる。ここまで心情が表に出てくる、出せるのも感情移入の量なのだろうか。そもそも自画像を描くとか思いもよらないことだから遠い感性なのかもしれない。写真で自分を撮ることはあってもしっかりと撮り切るような時間の掛け方はしたことがない。恥ずかしいのか、自分を撮る自分を滑稽だと思ってしまうのか。私は自分をカメラでスマホで写真に納めることは少ない。
著作権…いわさきちひろさんは著作権の先駆者だったのか。独立開業した後の初めての大きな仕事がアンデルセンの童話を紙芝居にするというようなエピソードも物凄いが、当時は自分の作品を出版社側に渡した後は返還されずに捨てられてしまうことが少なくなかったようだ。それも驚きだが。時代なのだろう。そこで発起し、提出した作品を必ず返還されるように作品の裏に印を付き明確にし出版社から作品を取り戻す。これを実行し譲らなかったことで現代にも約1万点程の作品が残り、美術館で今もお目見えすることが叶っているとのことだ。相当な闘いであったと想像しかできないがこれにより助けられた同業者もたくさんいたのでしょう。
いわさきちひろさんの絵(水彩画)の描き方が批判された時に支えてくれた人、著作権行使を成り立たせる為に一緒に切磋琢磨された旦那様、尽力素晴らしいです。
七転八起なんでしょうか。