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不言実行な優しさ。|映画【オットー(OTTO)という男】

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良い映画は予想が成立するがfinまでではない。ある程度終わりの部分までは展開が予想できていて、的中はしているが楽しめる。ただそこから完全に幕を閉じるまでの完全な物語の終わりまでは予想できず不透明になる。途中までしか予想できていないからだ。その先は「まだ続きがあるんだ…」と嬉しくも何か急かされるような心情になる。この物語【オットー:OTTO】もそうだ。ガンコで周囲を受け付けず、周囲からもなんともいえない扱いを受けていた。その上、それが影響したか?長年勤めていた会社さえ自ら退職するはめになる。少し共感出来てしまった点はルールにうるさく、守ろうとすることで周囲の利用者へもそれを徹底するかのように振舞ってしまうところだ。少なからず私もそれがある。どうしても納得できないシチュエーションなどある。なぜ守らないのか?とうるさく諭してしまう場合がある。その点は共感出来てしまう。メリットデメリットはあるがこういった物は性格なのだから仕方がないとも自負している。年々、私は思うだけで口には出さずやり過ごすことがうまくなってきてはいるがそれが善い事かどうかはまた別だ。出来ない人にとっては出来ない事でもあることが理解でき始めたからだ。仕方ないこともある。致し方ない。

 

孤独がテーマなように映った物語だが、主人公は最愛の妻に先立たれてしまい2人だった日常、視界が突然に1人にされてしまいどうしてよいかとまどっているというのが正しい表現なのかもしれない。ただただ妻を愛しており、それしか自分にはなかったかのように人生が妻の側にいて妻の為に何かしていることが生きる…だったようだ。不慮はいつ何時起きるかは予想できない。その後を解決するのは残された方だけだから。より難易度は精神的にも苦痛だろう。自らの人生を早く終わらせようとする様を多く主人公は繰り返す。少し偏った見方をすれば日本の昭和の団塊の世代の一例にいるタイプでもあると思う。私の父がそんな傾向があるが…イメージする近いモデリングとすればドラマで例えれば、2021年にオンエアされていた北川景子さん&永山瑛太さんの離婚がテーマのドラマ。この紘一(永山瑛太さん)の父がまさにガンコ、昭和の団塊の世代臭がした役所だった。

金曜ドラマ『リコカツ』|TBSテレビ

緒原 正 役(おばら ただし    …    俳優:酒向 芳「さこう よし」)

ガンコ一徹を通し、奥さんが家を出て行ってしまったら何もできず、生活ができない。そんな絵にかいたような男。ここにいつも私は疑問点を持つのだが(自分がそうではないからか?)奥さんが出ていき、食事やお茶の支度さえ本当にできないとか映されるがこの何もできないという状況がまず理解できない。出来ないなりに少しずつでもすれば良いだけでいつのまにか出来るようになるのだろうが…ようは奥さんにやっていて貰いたい。やって欲しい。甘えたい。世話をしていて欲しい。という点だけなのだろうと思う。私の父がそうなように。要するに何も出来ないのではなく…自分ですることではなく、プライドがなぜかそこに発生し、加えて奥さんにとにかく世話をして欲しいというのが本心ではないだろうか。失礼だが私はそれをみていてメンドクサイタイプの人だと父に重ね合わせてしまう。

 

話はそれてしまったが映画【オットーという男】は自分の身の回りのことは周囲の人達以上に繊細にできることからいつのまにか頼られていることに気がつくのだろう。自分では当然と思っていることが周囲からすれば頼る点になっているという理由。

そんなことが繰り返されオットーという男の意識も変化が表れ考え方も移っていく。

オットーが遺書を書き始めるタイミング、遺書を書こうと思い始めるシーンがある。自らの身体を蝕む病に気が付きはじめたから。それが間に合うから映画として成り立つのだがこれが現実世界であった場合は如何なものか?間に合うのか…

少し自分をイメージしてみるが早い段階から用意、準備をしておかなければそううまくは事は運ばないはずだ。ましてやここでのポイントは遺書を残す相手が居たということだ。もし遺書を書いたところで読んでもらう人が存在しなければそれはひとり言ではないだろうか。そんな風に思ってしまった。オットーは集合住宅に長年住まい、親友家族が側におり、引っ越してきた夫婦が運よく馬が合い、他にも妻の教え子が出現した。だからこそ遺産として身の回りの整理をうまく遺書を書きながら済ませることが可能だった。その環境が無い場合どうするか?なんともいえないところだ。

結局、最後は”いいサイン”が家から出ており、それを対面、向江に住む夫婦が気づき事が済む。孤独の最後とは。

 

3年前くらいにきっかけは定かではないが、数回会話をすることがあった定年後の延長雇用で勤務する男性との会話を思い出した。その方も確か奥様に先立たれ現在は一人住まいだった気がする。その人は私に言った。

「最後は一人だろう。結婚していようがしていまいが。」

正直コメント、リアクションに困ったが頷くしかなかった記憶がある。

妙に説得力はあった印象だ。

その男性は日々、昼休憩が終わる10分前くらいに昼寝から目覚めて床に腰を下ろし腹筋をし始める。午後の仕事への準備運動か…習慣にしては驚き、初めてそれを見たときのインパクトは強く大きかった。

初めてお会いした時やけに体つきがごついと感じたのはそのせいだろうか。

果たして自分はオットーやこの男性のような年齢に達した時、真似をする必要性は全くないが、何か軸に置けるものがあることを願いたい。作りたい。用意したい。

 

 

オットーという男

オットーという男

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余談:映画【オットーという男】の後半で主人公オットーの足元が映り、その時履いていた靴がメレルだった。色はチャコールグレーか?この靴はアウトドアブランドだった筈だ。14年前くらいに冬のこの時期、BARカウンター内、床がコンクリートで打ちっぱなしのBARに居た。そこは長時間立っていると非常に足に疲労が蓄積される。冷えも合わさり下半身を攻撃してくる。そこで買い求めたのがこのオットーが履いていたのと同じメレルのモデル。コレを履いた日から楽を手に入れ疲れも半減以上に感じた。とても優秀な靴。アウトドアブランドなのでスニーカーと呼んでいいのか不明だがとにかく優秀だった。靴底もグリップが強いが歩く際には柔らかい。ソールも厚味があり長時間履き、立っていても疲れない。立ち仕事に最適なモデル。アウトドアブランドなので勿論、雨・雪の日にも汎用性が高いです。プラスαはスリップオンで履くも脱ぐも楽ちんな一足。