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よくある資産家のお嬢さんの葛藤と火遊び。|映画【裸の天使】

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2005年のクレジット表記だから日本のクドカンドラマ池袋ウエストゲートパークよりも後の作品にはなる。見ていてドラマ【池袋ウエストゲートパーク】に出てくるヒロイン「渋沢光子:加藤あい」のスピンオフドラマのような作りをしていた。資産家の家に生まれ育つが家に帰っても親と顔をあわせることはなく、生活に不自由はないが愛はなく育つ…みたいな設定。そこから私はなんでもできるみたいな表面上の友達に魅せる顔と本質は乖離している二面性を持つ情緒。少しずれるかもしれないが海外(米)ドラマ【ゴシップガール】の初期も似たニュアンスだった。日本の元芸能人、木下優樹菜さんに声も容姿も似ていると私は勝手に見ていた主人公がお金があるから自分本位に振舞えるが痛い目をみる学園ドラマのセレブ版。

 

映画【裸の天使】はアリソン:アンハサウェイの自由奔放さを魅せた作品。日本でも高校生、大学生はお金があるなしに関わらず友達にも仲間にも異性にも先頭切って前にでていって自分の立場を維持するタイプは一人ぐらい存在するよね…みたいな感じで終始突き進むが、いつもの遊びじゃ物足りなくなってきて危険だけど行ってみる?みたいな行動を取ったら痛かったよ!…って物語がみえてきてしまうけど。カルチャーに付随するような形もとってるからギャング映画好きな人も楽しめるかもしれない作品ですね。

日本は別としても、こういったアメリカの映画作品を観ると実際問題日常にあるものをそのまま描いているような気がして、少しだけ警告部分が混じっているようにも受け取れる。白人が、黒人が、の線引きを越える越えないとかはどんな作品を観ても少なからず記録されているのには流石に気づく。良し悪しとかそういう話ではないが日本にない、日本人が直ぐには理解できないデリケートな要素だ。

 

作中、結局悪いのは、事件の発端はアリソンと友人であるのにも関わらず権力とか生まれとか育ちとか素行とかなにかしらの突っ込まれるポイントを逆手に取られてアリソンたちが悪くない流れになってしまっているし、そこは弁解の余地がないという映し方もしていた。終わり掛けエンドロールで隠すかのように抗争にまで発展しつつあったぶつかりは音声だけに仕上げて幕を閉じている。逆にこのほうが深く伝わるのかもしれない。アメリカに少しでも住んだことない私がこんなことを書くのも失礼にあたるのかもしれないが…後半にアリソンの元カレ?白人の彼がリーダーでいるPLCというチームとしてメキシコギャング、16ストリートのアジト風な場所に乗り込むシーンがあるが、そこは遠回しに銃社会の警告を理解させようとしているようにも見えた。

 

余談。…アリソンの親友、エミリーがバスルームでドアを閉め切って自傷行為を始めるが、アリソンが言葉で先回りしながらお互いを揶揄しあうシーンがある。そこである程度区切りがついてバスルームのドアを背もたれにしてアリソンが腰を落としていく場面があるが、虫(大き目の蚊)が画面左下のあたり、バスルームに向かって飛んでいる。しっかりと映っていたので驚きはそのまま取り払わずにカットされずに本編に使用されていたのが気になった。あまり気にならないのか、要素としてはいらない物だと思ったし、あまり本物の虫が映像に写り込む作品を観たことがないので非常に珍しかった。しかし、そんなところに目が行く私もその時点で既に作品に集中していなかったのだろうか。

 

 

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