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恋せよ乙女。|映画【嵐電】

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中学生の時の修学旅行は確か京都、奈良、大阪だったか。好きな子と両想いに成り、目的も脈略もない会話をする為にわざわざその子のクラスが泊まる部屋まで出向き、好きな子の近しい友人に呼んできてもらい大したことない話を一生懸命に、言葉が終わらない様に次の話題を用意し続けなんとか話を続ける。結局の所、中学生の両想いとは何がしたかったのだろうか。お付き合いをしているつもりになりたかったのか。もしかしたら、好きな物同士が外野の目から映る賛否両論のネタの中心に存在していたかっただけのような気さえも今となっては思える。

 

 

喜劇か、悲劇か、どの立場で観るかによっても感じ方、見え方、気持ちの入り用は違ってくるかな。修学旅行。地元に住む側。取材に来た理由。場所とか範囲は広くなくて狭くもないけど歩き回るには十分な距離があって、動き過ぎればすれ違うことも出来てしまう。外に出た事ない人からすると外から来る人は新鮮さもあるが遠巻きにしてしまう言い訳も持ち合わせている。歌劇を見たようなそんなお話。

 

最初はなんてことない物語の始まりをしっかりと感じさせているが徐々に過去と現在を交錯させながら心情が映し出されている。

 

3つのラブストーリーが同時進行、並走しているが井浦新演じる平岡と妻のストーリーはどうなっていったのか…結末は私にはわからなかった。途中、喫茶店のマスターが年配の夫婦であることがわかり長年寄り添う妻に対しての疑問、関係性を問うシーンで自らの悩みを打ち明ける「…出張が多くなって…一緒に居る時間が少なくなり…久しぶりに顔をあわせると…どこからだっけ…どこからやり直せばいいんだろう…って考えてしまうんですよね…」とマスターに相談気味にこぼすが、そんな真面目な人がいるのだろうか。もしくは不器用なだけだろうか。距離が離れ、時間を共有しない時間が生まれたことでそれほどなのか。そうなる前の努力はやはり難しいものか。2人の関係性とは他人が入り込めることではないだろうからあくまでも感じた事をアドバイスではなく『わたしの場合は…』なんてしか表現はできないんだが。

 

わたしは勝手に主人公だと感じて観ていた小倉嘉子(カコ)という女性はそういう魅せ方にしたのか前半は物静かな地元っ子を演じているが中盤から本領発揮か突然に女優化していった。表情の出方とか目の雰囲気とかエンジン全開が中盤から急激に感じた。関連性はないが毎度毎度新しい俳優さん光る役者さんは次から次へと当たり前に出現してくるものだから裏付けはなにもないが異様だなと深く思ってしまう。前髪がめくれ、鼻筋とおでこがあらわに成りすっきりと表情が印象に残るのは俳優業ではないが安室奈美恵さんがそうだ。アーティストと俳優さんを同じ枠で伝えてしまうのは失礼なのかもしれないが小倉嘉子(カコ役):大西礼芳(おおにしあやかサン)には引き込まれた。演技もだが表情は突出していた。キャスト情報から過去出演作を洗ってみると【万引き家族】にも出演されていたようだ。

 

結論は視聴側に委ねれる様な展開は仕方のないことだが、今回のそれは少しもやッとする部分も残る。いつもハッピーエンドが素晴らしいかと言われれば、そういうことではないが時と場合にもよるが時にはそれを欲する。

 

 

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