実際問題、しっかりと読み終えたことはない【ライ麦畑…】サリンジャーという名前だけが先行してイメージにあった ジュリー、J.D、は知らなかった タイトルでライ麦畑…とあった時点で当然にそれだと察することは容易であったが後に続く文字が違う事で別の作品かとも思った 詳細を開いてみると”サリンジャー”にまつわる映画だった
生きた時代をあまり明確に知らなかったが、当たり前に戦争が間に挟んでくる 仕方がないのか 自伝的な作品に目を向けると必ずしも切っては切れない戦争がついてまわる
好意を持った対象が生まれ、好きが強く成り、崇拝する形となりいつのまにかシンクロ率が高まってしまう一方的な要素はどこから始まるのか?依存か、はたまた本当に救われたからか?
作者や創作者のファンの一人が突然にそんな風に様変わりして当の本人の目の前に現れてしまう行為 なんとも言い難い
映画【ミザリー】、ビートルズのジョンレノン、サリンジャーにもそれはあったようだ
当事者には何かそうすることで解消される物が存在するからこそ、その行動に駆られるのか?理解は出来ないから客観的に観れるのかもしれない
相手が嫌がることは決して楽しいことではない筈 少しでも小さくても対象が嬉しく、喜ぶことに手をだせたほうが良いと考えるが、それは偽善か
知り合いではないという事実は、飛び越えてしまう程に感情は揺らいでいる?
上手な表現なんてしなくても良いのだろうが
戦争から帰還したサリンジャーは妻を連れて父母宅へ
その後、突然に出逢ったクレアと結ばれるが前者との終わりは省略されている
クレアとの背景の方が濃厚で動きがあったんだろうな
関連性はなんともいえない所だが、この作品の中にもコーランは登場する
やはり一度は目を通しておきたい本だな そう思いながら別の本が積まれていっている日が繰り返されている この記事を書いている時点では先に手を伸ばさなければいけないのは論無く…