思い描く紅葉ではないとまで言い切らないが、紅葉をテーマにした写真を観過ぎているせいで今年はお寺さんにだいぶ足が遠のいていた。週末、思い出したように栃木県に所在する寺院【多気山不動尊】へ伺ったのだが、自分の目に入って来る紅葉の風景・景色に物足りなさを感じてしまっていることに気づいてしまった。それはそれで寺院へ対しあまりに失礼、無礼であることは承知しているのだが素直にその感情は認めざるをえない。過去、時として頻繁に呼び寄せられるように毎週末足げなく通っていた場所なのだが、そこを離れ「紅葉」のみに意識を向けてしまうと、本当は自分が求めた地ではなかったのかと奇妙な自問自答があった。
この時にしっくりくるBGMはゴダイゴさんの【ガンダーラ】ではないだろうか。
天竺=インド
だということは今、知ったぐらい無知だったかもしれないがこの曲はあまりにも印象強く一言で終わらせることが皆、出来ないくらいの芸術であるとも思う。当時使用された西遊記も物凄いが【ガンダーラ】が伝える果てしない旅という言葉群は簡単に表現することは難しい。
1978年のTV放送、地上波で公開された西遊記、キャストは三蔵法師=夏目雅子さん、孫悟空=マチャアキさん…他
1994年の西遊記、三蔵法師=牧瀬里穂さん、孫悟空=唐沢寿明さん…他
この上記、2作品しか私は知らないが改めて観る夏目雅子さんには”ひいてしまう”ぐらいの美貌を感じる。現代から見て過去を生きた人の方が秀でているように映ってしまうのは見る人が持ち得る映像の蓄積なのか?はたまた個人的好みただそれだけのことなのか。この不思議は日本人俳優に留まらず外国人俳優にも当てはまるとは思っている。キャッチ―なところで名前をだせばオードリーヘップバーンだろう。比較することでもないし、終わりなき論争になる。
…物足りなかった紅葉と言ったものの、終わってみれば100枚くらいはシャッターを押していたのだから、岐路に立った際はなんだか目が疲れた、痛いなと感じたのは当然なんだろう。
この寺院の入り口に足を伸ばし、階段を100段と少し登ると本堂へ辿り着くことが出来るので1度、往復するだけで浄めは頂けていると勝手に思っているのは都合のいい話かもしれない。この寺院が毎年5月の日曜日に開催している【火渡り】来年こそは挑戦したい…と毎年呟いている気もする。