なぜ観に行くことになったかまでは覚えていないが、誰と行き、どうだったかは記憶にある 銀座で仕事が終わりそのまま1泊して朝早くから東京駅か上野駅へ足を運びその当時は未だ何事にも疎く知らないフリをしていることが多かった 美術館の前に到着したのは開演前の2時間とか3時間前に着いたはずなのに異様な人の数が並んでいた フェルメールの【真珠の耳飾りの少女】が日本に来たという理由で 1年の内に何回その画や映像を目にしてきたかはわからないが頭の中でそれは知っている有名な絵だということは理解できていた 連れがマンダリンホテル東京のパテシェ志望だったこともあり先輩たちから美術を観る目を養えと言われているとボヤいていた気もする 美術館に入り鑑賞を始めると長い迷路のように絵画が飾られていてそれらの多くはサイズが大きい物のインパクトが非常に強かった 暗めの照明は画にスポットが当たり鑑賞しやすい様に促す工作だったのか 目的の絵を観るまでに前菜として用意される絵の枚数もけっこうな点数だった それも踏まえて最終的にフェルメールを引き立てる演出だったのだろう
満を持して辿り着いたその場所は順番に鑑賞しているにもかかわらず、間違いなくそこにあるだろうと誰もが認識出来るぐらいの人だかりだった 初めてお目にかかった【真珠の耳飾りの少女】は妄想が誇大していたのもあるがサイズがあまりにも小さくシャープで驚いた 勿論、絵に関しては言葉で表現することが難解になるほどに深みがあり、やはり他のものとは別格の何かがあった 色、厚み、表情、恐ろしいほどの存在感は観て一つも損することはないだろう
スカーレット・ヨハンソンの出世作のような紹介のされた方もしている映画【真珠の耳飾りの少女】確かに再現性が高くあたかもそのモデルが彼女であったかのような映り方が印象強い 公開が2004年くらいだから日本の美術館に本物が飾られる大分前の話だ 映画のエンドロール前にこの絵が1665年と説明されたが1665年と聞いてピンとくる何かがあるはずもなく驚くばかりだ 最後は絵の依頼主であるライフェンの手に渡るがライフェンの心情も複雑で、フェルメール妻も同じように心の正常はなくしたように映る 描き切ってしまったフェルメールの表情もまた腑に落ちない 主人公:グリート(スカーレット・ヨハンソン)の存在感を至る所でのぞき見して様子を分析していたコルネール(フェルメールの娘)も子供ながらに魅力に嫉妬していたのではないだろうか
途中、フェルメールがグリートの顔がよく見えないという理由で頭に巻いた布を外させ、髪を結う形として青い布を巻く寸前のグリートをのぞき見するシーンは日本の昔話【鶴の恩返し】とも受け取れ、グリートが若く魅力的な為に絵の依頼主:ライフェンに庭で襲われるシーンは映画【武士の一分】の妻役:檀れいの隠された立場を思い出させた 勿論、この2つは1mmも作品に関与していない
グリートが青い布を頭に巻き終え、真珠の耳飾りを付けフェルメールが絵の仕上げに入る状態に入った際に【真珠の耳飾りの少女】の絵を再現するかのようにスカーレット・ヨハンソンがそのポーズの状態で映像が10秒程度切り抜かれる、ここは現代だから起こる衝動、スクリーンショットをするボタンを押しそうになったが止めておいた そういう物ではない筈だ
真実は別だったとしても、絵が好きだろうが、好きでなかろうがユニークな映画作品であることは間違いないので観て損するようなことはないと思う 幕を閉じるシーン、グリートの心情は如何に…疑問を持たされる映画の終わり方は大変好みである