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自己の体調と医院の選択

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※AIタイトルアシスト採用※

日曜日の夜…いつもと同じ環境。エアコンは1.5時間スリーブタイマー。電気毛布は中ぐらいの設定温度で就寝。夜中に喉の痛み、違和感を感じた。寝付けなくなり繰り返し4度ぐらいは朝までにトイレへいっただろうか。翌日仕事へ行くが身体はかんばしくないことを理解できる。不思議と自分の身体の異変は自分が気づく。コロナ禍でワクチン接種の際に必要とされていた痛み止め、風邪薬の〇VE 〇錠がキッチンの引き出しに眠っていたことを思い出した。すかさずそれを晩と、朝に飲みこみ仕事を対応するが黙っていても違和感は大きくなっていく。体調わるいな。少しやばいかも。時間の経過と共に悪化していくようなものを感じた。熱がある体の雰囲気だ。まずい。帰りに病院へ寄ろう。

 

コロナ禍に羅漢した際に診察してもらった病院は非常に大きく、紹介状がないと…という運営方針だ。よく考えてみれば東京から田舎、地元へ戻りかかりつけの病院を用意していなかった。昼休みに少し悩みグーグルマップで検索をかけるが体調が悪すぎて思考は停止している。思いつくのは子供の頃から風邪をひいたりすると診察してもらっていた実家から約5kmぐらいの場所にある医院だ。正直地元の病院というとそこぐらいしかイメージする場所がなく、年々田舎の為に人口は減っているのに、高齢者が増加し、2025年問題にもドストライクな私の地元。体調が悪い当日に新しい病院を開拓するほどの体力と脳みそはない。

 

目星はつき、スマートフォンでアクセスしてみるとお昼でいったん受付終了。再開は15:30からだった。丁度良い。定時の鐘が鳴ると同時にそそくさと会社を出て目的の医院へ向かう。周辺は子供の頃とあまり景観は変わっていないことに驚くが田舎なんてそんなもんだろう。新築の家が数件見え隠れし、医院の少しだけ離れた位置に医院で出された処方箋を受付る薬局が出来ていた。昔はなかったし、医院でそのまま薬が配布、お会計済ませることが可能だったから…少しオペレーションが時代と共に変化したな。

 

医院の駐車場に車を停めると、後から他の患者さん風の人もそそくさと医院に入っていく。遅れを取ると診察がどんどん遅くなるのは理解出来るが急ぐ元気は残されていない。この瞬間も目に映った景観を写真に撮ろうとスマートフォン傾けるのはなんともいいがたい。

ウン十年振りに医院の入り口に入った。レイアウトは少しコロナ禍使用に替わっているがあまり昔と大差はない。待合室中央には50インチ程度の薄型TVが設置されており、その右奥には小さめの本棚が置いてある。こちらの医師の趣味の本というか、ご家族があきたようなジャンルの本も置かれている。当時と変わらない物は聖書が置いてあることだ。この医院はキリスト教を謳っている医院でもある。それに変化はない。先週のクリスマスの教会での催し物のポスター、告知が剥がされずに残っている。少し興味はある。その教会自体が私の実家の区域に位置するのもあり、現在は若手の牧師さんが運営をしているらしい。HPも用意されている。

少し意外というか、構えていなかった部分は医院の入り口ドアに注意書きがあった。

「37.5度以上の熱があるかたは入らずに受付へお電話ください。」

と書いてあった。

未だそういったものは残っていた。うかつだったし、思いもよらずに戸惑ったが入る選択しかない為にそのまま入り、受付をすると体温計を渡され熱を計った。モスキート音のような体温計の熱が測り終わった知らせのメロディは低いような、高いような気にしない、意識をむけていなければ、この環境では聞き逃す可能性があった。私の父は現在この体温計の計測出来た際に鳴る音は全く聞こえないらしい。どうしたものか…

 

無事に私の熱は「37.2度」規定以下だったので待合室で診察を待った。

どれくらい待っただろうか体調が悪いのでもうなんともいえないが多分小一時間はまっただろう。少ししんどかった。

 

名前を呼ばれ診察室に通されると、私は当時から変わらない医師であることを願っていた。御子息がいるいないかはなんとなく聞いていたが定かではなかった為に継続は昔から変わらない方だと願った。

 

診察室のドアを開け、丸椅子に腰をかけると医師の全体がわかる。変わらない。当時の先生だった。白髪になったが面持ちは正直、肉付きがなくなったぐらいの印象で変わらない。先生は元々細身である。特に私が子供の頃から着目しているのは先生の左手の指だ。とんでもなく長く見える。ピアノをやっているのかと思うぐらいに長い。顔よりも指が印象的な先生。そして、昔から、子供の頃から日本語がなぜかカタコトのように聞こえる…これも変わっていなかった。体調が悪いのにも関わらず私はなんだか嬉しかった。ここを選んで良かった。思い出巡りではないが存続する限りまた体調を崩したらこちらへこようと思った。なんだか新しい病院は行くのは抵抗があるし、寂しさもある。この医院が存続している限りお世話になろう。

 

帰りがけ、思いもよらぬ写真を見つけた。

この医院、創立時の記念写真だ。子供の頃から来ているのにこの日生まれてはじめて気づいた。なんだか感慨深い。医院に写る病院を囲む壁や、木々、植物はいまはもうない。なんといえない体調を崩したことで得たノスタルジー