前に進むための場所

過去の掘り起こしを未来に繋げる

【望月の夜】道長が詠んだ歌、解釈は?

当ブログではアフィリエイト広告を利用しています

藤原道長が詠んだ「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」という和歌は、「望月の歌」としても知られています。この歌には複数の解釈があります。

##一般的な解釈

最も広く知られている解釈は、道長の栄華を誇る歌だというものです。この解釈では、歌の意味を以下のように捉えています:

「この世は自分のものだと思う。望月(満月)が欠けていないように、私の力には何も足りないものはない」

この解釈は、道長の権力の絶頂期を象徴するものとして長く受け入れられてきました。明治時代の教科書でも、道長の「奢僭」や「矯僭」を示すものとして紹介されていました。

##別の解釈

しかし、近年では異なる解釈も提示されています:

1. 戯れの歌: 与謝野晶子は、この歌が単なる「酔中の戯謔(たわむれ)」にすぎないとしています。

2. 政治的な意図: 田島智子は、道長藤原実資を味方につけようとする政治的な意図があったのではないかと解釈しています。

3. 栄華のはかなさ: 河内祥輔は、この歌が詠まれた日が実際には十六夜(いざよい)で、月がすでに欠け始めていることから、道長が自身の栄華のはかなさを認識していたことを示唆しているとしています。

4. 自らの陰りへの嘆き: 道長は当時すでに病気(おそらく糖尿病)に苦しんでおり、視力の悪化や胸の痛みを感じていたとされています。この歌は、自身の健康の衰えを嘆いているという解釈もあります。

##背景

この歌は、寛仁2年(1018年)10月16日に、道長の三女・藤原威子が後一条天皇中宮として立后された祝宴の席で詠まれました[1]。道長はこの時、「一家三后」という未曾有の栄華を達成していました。

歌が詠まれた状況や道長の人生を考慮すると、この和歌には複数の意味が込められている可能性があります。栄華を誇る一方で、その儚さも感じていた道長の複雑な心境を表現しているのかもしれません。

 

参考、出典:

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば - Wikipedia

藤原道長の歌「この世をば…」の意味とは? 現代語訳に別解釈、歌の背景も解説 | マイナビニュース

 

上記に引用した2.3.が私は一番近い解釈だと感じた。

あくまでもテレビでドラマを観ただけの感想でしかないが。

演出としては2.が先に動き出し、今回の締めくくりとして道長だけがライトアップされ振り返る。道長のその視線の先には藤式部…と視線をあわせるかのようなカメラワーク。だからこその3.

におわせ、おもわせ…で幕を閉じた。