前に進むための場所

過去の掘り起こしを未来に繋げる

チェーン店が参入することで開かれる未来【ゆで太郎】

今週のお題「小さい春みつけた」

 

 その土地は、そこで営業していたお店は24時間営業のバーミヤンだった。それまで24時間営業の飲食店は多く存在しなかった田舎だ。今も田舎であることに変わりはない。向かい側、同じ敷地の対面には焼き肉店が営業している。この焼き肉店は永らく営業を継続しており人気も出たのか、コロナ禍も乗り切っている。

 バーミヤンの閉店後、海鮮居酒屋としてリニューアルし、24時間営業も短縮された。コロナ禍直後だったかも不明だが居酒屋は閉店された。

 「次はなにが!?…と待ち望んだ」

蓋を開けてみれば【ゆで太郎】が開店する。嬉しいと驚きが、興奮と交錯する。

 

 考えてみれば非常に閉鎖的な土地であり、人口は減り、市独自では賄えず合併もした。若者は減るばかり。飛び交っていた中心道路の国道を4車線に広げる計画。この計画も40年が経ちやっと着工された。道路を広げる為には土地が必要。影響を受ける商業の立ち退き、一時撤退など問題は多かった。しかし、未来には必要な一時のことだと思ったが思うように進まなかったようだ。

 田舎故、地主や商工会議所などの譲らない精神が歯止めをかけていたと想像する。

 

 現在、国道4車線にする工事が進み始めたのはとんでもない重さの腰を上げることに成功したのか、力関係が初めて替わったのか、世代交代したのかは不明だ。

 しかし、【ゆで太郎】が参入、オープンすることを承諾したということは変革だ。過去参入の話はあったのだろうが入れなかったと想定している。理由は、近隣の個人経営蕎麦屋がかなりの打撃を受けるからだろう。田舎故、24時間は【ゆで太郎】も営業しないがそれでも6時から23時と市内にある個人経営の蕎麦屋よりも遥かに長く営業する。

 【ゆで太郎】がオープンする今年、約1年程は市内の蕎麦屋は影響を受け続けるかもしれない。致し方ない事だと思う。変革に犠牲はつきものだ。変わる為には必要だ。

いつまでも過去の栄光に甘んじていても次の世代からそっぽを向かれたままだ。

 

 懸念や影響は国道にて【ゆで太郎】前で渋滞が起きそうではある。その理由には経済効果が発生しているプラスと踏まえて欲しい。

田舎では新しいスタイルの【ゆで太郎】だが住民は他の土地で【ゆで太郎】を利用したことがあるはずだ。

 市にとっては、住民にとってもこれは小さい春をみつけたスタートになるはず。

 

クドカンの演技力を改めて称賛することになった作品|映画【幼な子われらに生まれ】

 田中(浅野忠信)という男の家族と描く人間ドラマ。元妻とはキャリアを積みたい彼女と子を授かりたいお互いの感情がぶつかり破綻。現在は元妻との子と3カ月に1度面会する。その前妻との繋がりが今の家族へひずみをきたす。田中は長女2人の心に挟まれることで思い悩んでいく。

 

 主要キャスト

田中(浅野忠信

妻(田中麗奈

元妻(寺島しのぶ

妻の元夫(宮藤官九郎

 

 妻・奈苗(田中麗奈)は元夫と失敗をしている。暴力もあった。それも理解したうえで田中(浅野忠信)は再婚をした。奈苗の長女は田中が元妻との間に出来た子供に面会をしていることが気に入らない年齢に成った。あてがうように自分も前のパパに会いたいと田中と母(奈苗)を困らせていく。

 奈苗(田中麗奈)の元夫は沢田(宮藤官九郎)。演技を初めて観たわけではないが巧かった。リアルにそういう輩は存在するだろうし、演じる振る舞いをするタイプの人柄を勝手に想像していく私の思考(嗜好)にピンポイントで合わせてきた。沢田の表情、動き、タバコの吸い方、自分の娘への不器用な様。リアルというか、巧いというか、この沢田が存在しなければ作品のボリュームを感じることはなかったかもしれない。

 

 浅野忠信主演作品は昔からよく観るが、いつも気になるのは彼の呼吸の音だ。

 

 

 

 

 

 

結末はみえるが最後まで展開が気になる|ドラマ【そして誰もいなくなった】ミステリーの女王アガサ=クリスティー原作

 離島に所在する大邸宅へ共通点がない老若男女が集められた。声掛けは大邸宅に住む夫婦。集う物、皆、面識はない。時間が経つにつれ一人、またひとりと命を奪われていく。大邸宅の部屋には共通する詩が飾られている。その詩をなぞるかのように怪死していく面々。生存者は果たして……

 

1939年にイギリスで発表された推理小説の名作であり、時代を超えて読み継がれてきただけでなく、これまで何度も映像化されてきました。

引用:

名作は名作を生む! 「"そして誰もいなくなった"的な小説5選」 | カドブン

 

 よくある謎解きであればネタやトリックを小出しにしていく手法を使い視聴側を盛り上げていく予想を立てる。しかし、アガサ=クリスティ原作の作品【そして誰もいなくなった】はシーンが進むにつれ、ミステリー慣れしている者であれば察しがつく展開をわざと見せる。ネタをあからさまに提供してくるが、

『トリックを見破り、犯人を特定することは出来ないぞ……』

と自信たっぷりに問いかけてくるように。

 とにかく尻尾はあらゆるポイントで伺える。後半には生存者も少なくなりおよそが絞られる。私も経験則で口には出さなかったが犯人、生存者を特定し、誰が残りこの作品の幕が閉じるかと腹は据えた。

 終わってみればいとも簡単に私の浅はかな推測は誤りと認めさせられた。その後に待っていたのは、

「そんな最後は誰が思い描ける?……」

 この結末を事前情報なしで想定可能であれば、是非、挙手願いたい。

 

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境遇だったり、想い、心の内|映画【0.5ミリ】れいてんごミリ

 サワという女の職業はホームヘルパー。訪問で通う、ある一家の事情に巻き込まれ一切を失う。サワは生きる、喰う為に後期高齢者への配慮を武器に老人たちを転々としていく。サワと老人達の不器用な生活は遠回りするが、お互いに歩み寄っている。サワの気づきは最後、金か心か。

 

 主人公(サワ):安藤サクラ

 第一老人(シゲル):坂田利夫

 第二老人(マカベ ヨシミ):津川雅彦

 

俳優・奥田瑛二の長女で映画監督の安藤桃子が、実妹安藤サクラを主演に起用した初の姉妹タッグ作品で、自身の介護経験から着想を得て書き下ろした小説を映画化した人間ドラマ。

引用:

0.5ミリ : 作品情報 - 映画.com

 

 作品の中で描かれる主人公サワ(安藤サクラ)の境遇と行動は映画だから可能な設定であり現実的には難だがリアルを追求するには十分だと思う。理不尽、直面する出来事。安藤サクラの演技は役が生き、個性が凛としている。

 登場する老人達を演じるキャストが名優ぞろいであることで物語が薄くならずにインパクト大だ。シーンが映り替わる度にメリハリがある。坂田利夫の演技は素晴らしく老人の生活をリアルに面白くみせていた。さすが喜劇王だと勝手に感じた。

 津川雅彦演じる老人は自宅で妻が寝たきり、ホームヘルパーをひとり訪問させている生活。うっすらと自分自身が認知症に患い始めていることへ向き合っている。建前を余計に必要とせず、人格者である役を匠に表現する演技力はとても好意的だ。

 作品後半、暴力的なシーンも少なくないが要点を映し出すには不可欠なのかもしれない。

 

0.5ミリ

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  • 安藤 サクラ
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伸し上がる知恵、押さえつける力、埋まらない孤独|映画【女王陛下のお気に入り】

 主人公は上流から下流に落ちたアビゲイル。侍女として雇われることが叶い宮廷へ辿り着く。宮廷は女王(アン)の采配がすべてだが、側近のサラが女王に取り入り国力を巧みに動かしていた。アビゲイルは苦境を乗り越えてきた知恵を生かし、女王の目に止まり、サラからの信頼も得る。女王(アン)、サラ、アビゲイルと三角関係が生まれそれぞれの感情がぶつかり合って行く。

 

 主人公:アビゲイルエマ・ストーン

 女王:アン【オリヴィア・コールマン

 官長:サラ【レイチェル・ワイズ

 

 製作費が莫大なのか、撮影現場が特別なのかその映像は数分で入り込めた。気づかなかっただけなのか、王室、宮廷の背景が魅力的だ。壁紙、通路、寝室とシーンは足早に移り変わるがその描写ごとに役者が立つ宮廷内の存在感は物語を何倍も愉快にさせてくれる。この作品のシーンで宮廷の外側はあまり多くない。すべてが宮廷内での出来事で完結しているが、宮廷の外で起きていることを描くことでより三人の立ち位置と心の状態を視聴側に再認識させている。

 オリヴィア・コールマン(女王アン)の巧さは恐怖もあるが観て間違いはない。

 

 

たんたんと進む、それがイイのかも|映画【アメリカン・フィクション】

 兄姉は医者、自分は売れない小説家。姉の突然の死を迎えると同時に母が認知症を患って行く。兄はゲイで自由奔放。父は既に他界している。過去に執筆した小説が出版社の目に止まり多額の契約金を持ちかけられる。男はその作品に嫌悪感があり著者を偽る。本人の意思とは裏腹に映画化も決まり、文学賞にもノミネートされる。仕事と親族に悩むひとりの黒人男性の物語。

 

風刺に溢れ、見事に倫理観が覆される作品だ。原作は2001年にパーシバル・エベレットが発表した、小説家を主人公にしたメタフィクション形式の「Erasure」。主人公の名を全米図書賞を受賞したラルフ・エリソンから採っていたり、1990年代の米出版界をモデルにするなど、刺激的な仕掛けに満ちた内容のようだ。原作者エベレットは今回、脚本と製作でクレジットされている。

引用:

アメリカン・フィクション : 映画評論・批評 - 映画.com

 

 

moviewalker.jp

 

 強いベッドシーンがない映画を久しぶりに観た。それが強調されなくても最後まで伝わる部分はしっかりと受け止められた。本編、主人公の悩む本質と並走して兄姉、母との親族的問題が巧く描かれている。おざなりになることなくエンディングを迎える。最後、赤いオープンカーで撮影所を走り去る。兄弟がクローズアウトしていくシーンで流れる曲は晴れの日にウィスキーを美味しくさせる音だ。

 

 

奪い合う指先の果て|映画【ピアノ・レッスン】

 話すことができない母とそのサポートを担う小さな娘。2人の親子はスコットランドからニュージランラドへピアノと共に移住する。相手の写真1枚で成立したお見合い結婚。新しい夫を受け入れずピアノを教える為に通う原住民と複雑な関係に発展していく。彼女のピアノは男性を魅了し、女性を不安にさせ官能的に映る。

 

 ピアノを奏でる主演はホリー・ハンター

www.allcinema.net

 

 作品は19世紀半ばの設定とあるがその時代をイメージできるかというとそう簡単ではない。エイダ(ホリーハンター)が娘と船でニュージランラドへ辿り着き主であるピアノが直ぐに住む場所には運んで貰えずに浜辺へ放置される。その時の母と娘2人でピアノと共に映される画は途方に暮れているようにも、異国での孤立感をみせるようにでもあるが絵画のように美しく魅せている。

 夫・スチュアートには心を開かないように見える主人公・エイダ(ホリー・ハンター)だが、ピアノを教えることになった男・ベインズには徐々に歩み寄る素振りがある。ピアノを通して写し出される心情。彼女は口がきけない。

 いつのまにか三角関係が成り立ち、幼い娘は義父・スチュアートを擁護するような言動を繰り返す。視聴側からすると複雑になる。

 小さな娘からの視点では義父・スチュアートは母に対して決して尊重するような行動はないが異国の地で新しい生活を用意してくれた新たな父でもある。対して母がピアノを教える為に通う場所、ベインズは自分と母の時間を奪ってしまっているように感じる。徐々にそのストレスが蓄積し母と言い合いをするまでに発展する。

 

 エイダ(ホリー・ハンター)の劣情を煽り立てる指先が物語を暗く、深くする。