映画「グッド・ウィル・ハンティング」
1997年の作品、日本公開は1998年。
主人公は青年ウィル(マット・デイモン)
幼少期から過去にトラウマを持つが、記憶力にとても優れている天才。
スラム育ちで、学歴は持たないが数学を専攻する大学生達が向き合えないような難解な数式をウィルはいとも容易く解く。
ある時、大学の数学教授であるランボーはウィルの数学の才能を目にするが、人格と振舞いの悪態要因についても気づく。数学の世界でウィルを成り立たせたいランボー。自らでは手に届かなかった領域をウィルに託したい思い一心でカウンセリング、セラピーを受けさせ続ける。
しかし、ウィルは繰り返しカウンセラーを茶化し続け真剣にその場を受け入れようとはしない。
最後の砦として大学の旧友でもある精神分析医のショーン(ロビン・ウィリアムス)をウィルに会わせる。
クライマックスのウィルとショーン、2人の向き合うシーンは至極、緊張感が高まる
「呆然と…画面を見入ってしまった」
私は、10年前くらいから自分にあったカウンセリングはないものかと頭の片隅で思うようになった。
昔から映画、海外ドラマが好きで多くを観賞する。その多くの作品の中で主人公がカウンセリング、セラピーと向き合うシーンが多々映し出される。
邦画、国内ドラマではあまりない描写だと認識している。文化の違いなのか。
長年、自分に疑問を抱き続けているのかそういったカウンセラーと対面することに強い憧れの様なものがある。
しかし、(カウンセリング)*1とセラピーを混同していた時点で真剣に探そうとしていないとも受け取れる。
向き合うのをどこかで避けている可能性もある。
カウンセラーとセラピストの違いは何ですか?
カウンセラーとセラピストの目的の違い対象は、具体的な症状をもった「患者」で、目的はその症状を治すこと。 セラピストは症状を治すために、具体的な治療=セラピーを行います。 一方、カウンセラーが行う心理療法は「カウンセリング」と呼びます。 カウンセリングは心理学から発達したもので、医師ではない人が行います。
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映像でイメージ付けされているカウンセリングを求めているが日本では”それら”をみつけることは難しいのでは…とも考えた。
つい先日、知人の紹介で生まれて初めてカウンセリングルームに足を運ぶことになった。過去、自分で探すもアポイントを取る所までは行動できていない。一線を越えないように自分で足を止めていた感じもある。
しかし、信頼を置く知人からの勧めは不思議と背中を簡単に押した。
予約日が楽しみでもあり、構えてもいた。色々な妄想が頭を占拠した。
どうなるか初めてのことで予想もつかないので聞いてみたいこと、話したい内容を3つに絞り用意した。
当日、初回は30分程度と時間制限が設けられていた。当然だ来訪者が私1人でその日が終了するわけがない。しかもその場所は週に2回のみ開くスタイル。
カウンセリングルームに通され簡単な挨拶を交わし始まってみれば、あっという間な30分だった。
【結果は…】
- 用意したテーマを1つだけ濃く話せた。
- テーマを人に話せたことで気分が少し楽になった。
- 再度、タイミングをみて話しに来たいと自然に感じた。
- このような場は自分には必要だ。
- 親族でもなく、友人でもなく、同僚でもない。恋人の様な関係でもない相手。
- 客観的な対面。
- 自分が求めるニュアンスにとても近い。
「解決」はしていないが、動けない状態から1歩前に進むことが出来たのは事実。
この先は新たに自分次第でしかない。
自分が悩む問題に対して解決する為の新しい攻め方を見出して貰えたことは大きい。
探し物はいつも向こうからやって来たり、自分の足元にあることの方が多い。
モーリス・メーテルリンクの「青い鳥」を初めて読んだ時に悲しくも感じた心境に近い。