その声をどう捉える

アイデンティティとは「その人らしさ」を個人がどう表現しているかのようなことだと個人的には考えている。約1年前くらいだったか、何気なく耳で、聞き流すほど適当には姿勢を流してはいなかったが真っすぐ正面を切って聞いていたわけではないラジオ。そのラジオ番組のトーク内容はパーソナリティひとりに対し、水曜日のカンパネラの二代目ヴォーカルを担う詩羽だった。質問と回答の中のひとつに【アイデンティティ】が上がった。質問に答える詩羽さんは自身のアイデンティティについて
「カリアゲと…」
もうひとつ何と表現していたかは思い出せないが【刈り上げ】を自身のアイデンティティと言葉にしていた。未だわたしは自分のアイデンティティなど明確に言葉にすることは出来ていない。
高齢者施設ディサービスに訪れる利用者様方。個々それぞれに年齢も、生まれも既往歴も現在の状態もすべてが同一でない集団。ある一定の時間帯に集う。およそ午前中の10時頃から午後16時ぐらいまでひとつの空間で過ごす。そこでは物静かな姿勢をつき通す方も、激しく自分を表現する人も、とにかく口を開き続けるタイプ、聞き側に徹する人と当然のこと様々だ。
日によりけり、その利用者様方の要望は激しくなる時もある。いろんなリクエストが重なる。対応する施設に既存の職員の人数が足りていることはあまりない。ピーク時を考慮すればもうひとり、ふたり手が2本以上欲しい場面が常だ。
利用者様方が発する
「これをしてほしい」
『ここをこうしてほしい』
「こうなってるから…」
やって貰いたい事を思った時に口にする。当然だ。利用者様だからその為に通所している部分もいなめない。ただその度合い、頻度、内容により職員の受け止め方は違うだろう。利用者様方、職員達とて個人だ。受け止め方は違う。聞こえ方は違う。
【わがまま】が過ぎること【アイデンティティ】と捉えることが可能か。
ある職員は利用者様方が同時に発するリクエストに対し部分的にわがままと捉え、先輩職員と余談の中で
「わがままが過ぎる時は受け止めることが厳しい」
と日常の感想を述べた。
先輩職員は返した。
『わがまま…と捉えるのか~…』
と含んだ。
その差を埋める何か説明や回答は無かった。
後日、現在は施設管理職として日々多忙な毎日を送る元リハビリ職と時間をかけて話す時間があった。そこで少し前にあった先輩職員と利用者様の「わがまま」についてどう捉える、「わがまま」の言い換えは何と表現するのか質問してみた。質問者は「わがまま」を他の違う意味合い、表現としてどう捉える変換は熟考してもわからなかったからだ。
対話の相手、元リハビリ職の回答はあくまで憶測ではあるが、それは
『アイデンティティ』
と捉えているのではないかと口を開いた。
そういった方針なのか、考え方が存在するとのことだ。
【わがまま=アイデンティティ】
という言葉を聞いてすんなりと呑み込める、解釈できる人はそんなに多い物だろうか。
少し特別な捉え方ではないかと思う。
ある意味では目を丸くした内容であり、自分の人生経験では一生辿り着くこと、想定できる感覚ではないのでとても刺激的ではある。その答えを出すことがあればもうひと皮剥けるのではないかともほんの少しだけ感じる。しかし、反発する気持ちも多い。人がわがままだと感じる言葉、態度に対しアイデンティティなんだよと言える人はどれぐらい存在するのだろう。
そもそもこの内容は聞く人が変われば
「なにを言っているのだろう???」
と首を傾げてしまい、そのまま終わりを迎える可能性も少なくないのではないか。
精通する方に持ち掛けてみよう。
近しい人に投げてみよう。
自分では答えに辿り着かない気がする。
皆様は
【わがまま】をどう捉え、【アイデンティティ】は何だと感じているのだろう。